無念とは本来仏教の用語で、煩悩や雑念などの「念」がない、つまり、とらわれのない無心の状態をいう。しかし、現在慣用語として用いられている「無念」は、そのような無心の状態ではなく、むしろ「念」にとらわれすぎて悔しくてたまらない心の状態をいう。「念」が残って悔しいという意味の言葉に「残念」があるが、「無念」は「残念」よりもっと「残念」な心のあり方を示す。例えば、無実の罪をきせられた武士は「誠に無念である」などとくやしさをにじませて切腹するが、それを傍観している他の武士は、しょせん他人事なので、「誠に残念であった」とせいぜい同情するくらいである。「無念」が「残念×2」のような意味で用いられるようになったのは、「残念」を強めるために「残念無念」とゴロのいい使われ方をした結果、「残念」が取れて「残念」をもっと強める言葉として「無念」が残ったのだと考えるのが妥当なようである(CAS)