うるさいとは、物音が大きくてやかましいという意味で用いられるが、ただ単に音が大きいというだけでなく、被験者Aの横で、協力者Bに小さな声で延々と家庭の不満をのべさせたとき、一定時間の後Aは「うるさいなあ、もう」とBに向かって発言することが予測されるように、音の大小に関わらず、しつこくわずらわしいものについて不快に思っている感覚を言い表していると考えられる。そこから音のうるささ以外でも、「規則がうるさい」とか「前髪がうるさい」など、わずらわしい、うっとうしいという意味で用いられる。さらに「味にうるさい」のように、食べ物の味についてひとくさり論説できるような、毎日そんな話を聞かされる身近な人からすれば「うるさいなあ、もう」というような人物を表現するさいにも用いられる。
「うるさい(うるさし)」は、もとは、いきとどいて完全であるさまをいった。語源は、「うら悲しい」「うら寂しい」というときの「心」を意味する「うら」と、狭いという意味の「さし(狭し)」で、接していると緊張して心に圧迫を感じて狭く(細く)なるような厳しい人物を評するのに用いたようである。「いきとどいて完全である」ヤツが「うるさい」「わずらわしい」ヤツと感じられるのはいつの時代でも共通の心理であるようで、平安時代末期ごろにはもうそのような用例が現れているという。「五月蠅い」はもちろん当て字。「五月蠅」つまり「夏の蠅」は、「やかましくはないがしつこくわずらわしい」状態を表すのにぴったりで、当て字としては「秋刀魚(サンマ)」と同じくらいのいい出来ではないかと思われる。(CAS)