遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よとは、昔の武士が戦場で名乗りをあげるときの決まり文句、あるいは、昔の武士はこのように言っていたと見てきたようなウソをいう講釈師がでっちあげた名乗りの前口上。「やあやあ」とまず叫んで周りの者の注意を引き、続いてこの文句を述べる。意味は「遠くにいる者はいまから大声で名乗るからよく聞いておけ、近くにいるなら目でもよく見よ」といったところ。武士が戦闘の主役になったころ、軍隊のリーダーは自軍の先頭に立ってこう叫び、自分のプロフィールを滔々と述べて(といってもまあ、「趣味は読書で…」などと詳しいことまでは言わなかったと思うが)、敵軍のリーダーとの一対一の決闘を望んだという。相手の大将がわけのわからないことを叫んでいる間、兵士たちは間抜け面をしてそれを聞いていたわけで、あまり頭のよいやり方とは思えず、時代が下ると、そんなのんきな騎馬戦も姿を消し、長い槍を持ったひとかたまりの歩兵がわめきながらがしがし攻めてくるといったようなシビアで恐ろしい戦闘法が主流となった。
中国を制覇した元のフビライ軍が、13世紀の後半、二度に渡って日本に攻め込んできたとき日本軍は、武士の名乗りなどおかまいなく攻め込んでくる愛想のない敵方のやり方に苦戦したというが、そもそも日本語で叫んだって向こうさんにはわかるわけがなく、そのあたりは日本の武士だって空気を読んでいたはずであり、史書を詳細に調べれば、向こうがじゃんじゃん攻めてくるのにいちいち名乗りを上げてから戦いを始めるほど日本の武士もおバカでなかったことは知れるのである。(CAS)
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