竹を割ったようとは、通常「竹を割ったような性格」「竹を割ったような気性(きしょう)」などとと用いて、まっすぐな性格や気性、つまり正直で間違ったことのできない性格、気性を意味する。これは、竹が繊維方向に沿ってまっすぐに割れる性質があるところからきた例えだが、竹にはもうひとつ、中が空洞であるという大きな特徴があり、「竹を割ったような性格、気性」として、おもてうらのないさっぱりとした性格や気性を表すという解釈もできそうである(そのような解釈は実際はなされていない)。もし「性格」ではなく、「竹を割ったような頭」とくれば、これはもう「脳足りん」「能なし」の例え以外のなにものでもない。(CAS)