大目に見るとは、サイズの大きい目で見るように見るという意味だが、少女漫画のようなかわいく潤んだ目で見るという意味ではなく(そのような意味だったら、たぶん「大目で見る」というはず)、神様の大きな目では、人間のちまちました不正行為や誤りをいちいち細かくチェックしていられないことから、人の犯した不正や誤りをきびしく追求しないという意味あいで用いられる。
「大目に見る」は、「罪を憎んで人を憎まず」といった宗教的精神ではなく、その人の犯した罪が自分には直接被害をもたらさなかった第三者の精神的余裕(高見の見物的無関心さ)による罪の許しを表す言葉である。(CAS)